【怨念・呪術話】後世が途絶える理由【#恐怖体験】【#怖い話】【#夏のホラー冬のホラー】

ちょっとした事を知っているので、それを書き込んでみます。

「死語」という言葉がありますが(私もいい年なので知らずに使ってたまに恥ずかしい思いをしていますorz)、それとは別の意味の「死」を意味する言葉というのをご存知でしょうか?

「呪い」とか「祈祷」の類ではなく、かといってその言葉を発したところで誰か「死ぬ」とか発した本人が「死ぬ」というわけではなく、ただ、「後世が途絶える」というものです。

父の兄弟は全員独り身でした。
なので父が唯一の家庭持ちでした。
祖父と伯母も絵描きで(日本画家でした)もう独りの伯母は華道、伯父はカメラマンという芸術一家でした。

「お前の伯父さん伯母さんたちになんで子供がないか知ってるか?」そういきなり話してきました。

父の話をしている時、カラムーチョを食べながらファミコンで遊んでいたので、
話半分に聞いていましたが、父の声のトーンがあまりに低かったので、ちょっと驚いて振り向きました。

父方の親戚に子供が一切いない理由なんて思いも付かなかったので、「しらねーよ」言いました。

「それは、ある言葉のせいなんだ」
「お前ももう中学生だから分かるだろうが、お前の伯母さん達は子宮不全だったし、伯父さんは種無しだ。精子が無いんだ」

中学生の私はなんだか下ネタ話をしてくれるのかと思い、ちょっと下世話な気持ちで話を聞き始めました。

あ、父は絵描きだったのですが、妙に世俗からかけ離れた雰囲気を持っていて、本人も坊主頭の髭もじゃで本人が言わなければ絵描きには到底見えない感じでした。

父のアトリエには絵の道具以外にもお地蔵さんの頭(どっかで拾って来たらしい)や、いびつな形をした黒光りした石、
中でも一番私が嫌だったのは油絵の具の塊を塗りたくられた仏像(絵の具の塊で顔が鬼みたいでした)などがありました。
本人曰く、「ご神仏など糞くらえだ」と言いながら酒を飲んでいたのを覚えています。

父の話では、戦後間もない頃、末っ子である父と伯父伯母は4人で空襲のあった東京のある場所に引っ越したそうです。
祖父と祖母は元々、浜松の疎開先で仕事があった為、親戚の家のある界隈に子供だけ先に東京に来たというわけです。

瓦礫だらけの地域だったらしいので、子供の遊び場には事欠かなかったらしく廃屋や川原などを遊びまわっていたそうです。

ある日、新しい遊び場を見つけたと伯父さんに言われ、兄弟四人で川原近くの原っぱに遊びに行く事になりました。
その原っぱは元々神社のあった場所だったらしく、所々にその跡があったらしいです。

兄弟で遊んでいると伯母の一人が蔵跡を見つけ、そこで小さな彫像を見つけました。
その伯母は嬉しそうにそれを拾い、皆に見せました。

他の兄弟も興味を持ち、父も手に取り見せてもらったそうです。
何かの神様のようだったらしいですが、空襲のせいか顔の左側が欠け手足も欠けてしまっていそうです。

ただ、彫像の土台のところに穴があり、丸められた和紙が入っていたそうです。

それを見つけた伯母が開いてみてみると、ただの白紙でした。
父も見せてもらったそうですが、染みはあったがただの質の悪いまっさらな和紙だったと言ってました。

ところがその時変な感覚に襲われたそうです。

なんでも父曰く、「真夏の太陽をまぶたを閉じて見ると赤いだろ?あの赤さが頭に残って、ある言葉を思い起こさせた」

末っ子でまだ小学生だった父はその感覚が気持ち悪くて仕方なかったそうです。

「熱い訳無いんだが、なんか頭の中がその赤いので焼かれるようだった」その感覚は父だけではなく、伯父伯母たちも感じたらしく、「なんだ赤いよ赤いよ、○○○○!○○○○!○○○○!○○○○!」一番に叫び始めたのは二番目の伯母だったそうです。
面白がった残りの伯父伯母も並んでその言葉を叫び始めたそうです。

ただ、父は叫びませんでした。

「何よりもあの赤が怖くて怖くて仕方が無かった」

余談ですが、私の父の絵も伯母の絵も赤を滅多に使いません、今思えばこの事が原因なのかと思います。

一人怯えた父をよそに、他の兄弟達は日が暮れるまでその言葉を発し続け、夕飯時にも繰り返していたそうです。

そのことは、その日ですっかり忘れてしまったそうですが、それから5年して廃墟の再開発が進む中、その原っぱもついに工事が始まり、何かが建ち始めようした時の事だったそうです。

何でもその原っぱの工事現場の前でルンペンが仕切りに騒いでいたそうです。

「わしの『カズラ』を返せ!わしの『カズラ』をどこへやった!」そう叫んでいたそうです。

結局、そのルンペンがあまりに騒ぎ、周りの住人まで集まり始めた為、警察が呼ばれそのルンペンは連れて行かれたそうです。

その野次馬の中に、以前その界隈に戦前まで住んでいて、疎開後に戻ってきた近所のおばさんがおり、そのルンペンを見るなり、あれはあの神社の離れにいた居候だと言ったそうです。

空襲でその神社が破壊され、完全に行き場を無くしたその居候は方々を彷徨うようになったのだと、その近所のおばさんは話していたそうです。

それ以来、そのルンペンはその辺りを徘徊し、「カズラ、カズラ」とブツブツ呟きながら道行く人をギラギラした目で見回していたそうです。

勿論、その「カズラ」というのがあの彫像だと言うことは父も伯父伯母達も理解していたそうです。
ただ、その彫像はその前の年の秋に焼き芋をするための焚き火にくべてしまったそうです。

それからもそのルンペンはその地域に居つき、川原辺りに住んでいたそうですが、いつの間にか姿を見せなくなり、そのままになったそうです。

「今思えば、あいつはまじない師かなんかだったんだろうな」そう父は言ってました。

それからその彫像に関することは一切何もなくなりました。

ただそれから伯父は高熱を出して倒れた際に「またあの○○○○だ!」そう夢にうなされていたそうです。
結局何回か高熱を出して倒れた結果、種無しになってしまったそうです。

姉二人は結婚しましたが、子宝に恵まれない為、悩んだ末病院へ行くと二人そろって先天的な子宮不全で妊娠が難しいと言われたそうです。

結局、伯母二人は離婚しそれから死ぬまで独りでした。

そこで父の話は終わったのですが、何でその話を中学生の自分に話されているのか全然理解が出来ませんでした。

父にそれを言うと、「俺はそれからそれが何だったのか調べたんだよ。だけど調べても何も分からなくてな」そう言いながら、ボロボロの封筒を机の引き出しから出してこう言いました。

「この中にその彫像の中に入っていた和紙がある。お前にやるよ」と。

実は即効で「いらねーよ!」と言って拒んだのですが、なんとか私に渡したかったらしく、お小遣いと共につられた私は受け取ってしまったのです。

そして、そのこともすっかり忘れていたまま時が経ちました。

父が死ぬ前に「あの言葉のこと覚えてるか?」と尋ねられたので、「覚えてる」と答えると、「あの言葉は、○○○○だ、わははは。」と酔った勢いの父によって半ば強制的に聞かされてしまいました。

さすがに腹のたった私も「頼むから死んでくれ」と剣幕でした。

「死ね」と言って死なれたのでかなり凹みましたが、それも20年経つとなんだか懐かしくなります。

半ば無理やり長男である私が受け継がされたその言葉ですが、その出所も調べる気にはなりません。

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